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大阪地方裁判所 昭和27年(ワ)2017号 判決

原告 広瀬ヨシエ

被告 宮脇政五郎

主文

被告は原告に対し金五万円及び之に対する昭和二十五年六月十五日以降右完済迄年五分の割合による金員を支払うべし

原告の其余の請求を棄却す

訴訟費用の三分の二は原告の負担とし其余は被告の負担とす

本判決は原告が金二万円の担保を供するときは原告勝訴の部分に限り仮に執行することを得

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金五十七万円並に昭和二十五年六月十五日から右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

昭和二十五年六月十四日被告の長男訴外宮脇豊一(以下単に豊一と称す)は大阪市大正区泉尾浜通二丁目八番地を南北に通ずる幅員約六米の公道上稍々東側に於て訴外山本達雄とキヤツチボールをしていたが、右公道はその両側に人家もあり人の通行も多いから、斯る道路上に於てキヤツチボールをすれば、通行人或は傍人に危害を蒙らせるおそれのあることは当然予想されるに拘らず、之等に対して何等考慮を払うことなく、不注意にも漫然とキヤツチボールをしていた為、豊一の投じたボールが斜にそれて、右道路の東側の広場にある鶏舎の前で鶏に餌を与えていた原告の左眼部に命中し、因て原告は左眼を失明するに至つた。仮に豊一が道路の東側の広場に於てキヤツチボールをしていたとしても、同広場は休閑地利用として菜園、鶏舎等が在り、人の出入する場所であるから、豊一が何等の処置を講ずることなく漫然キヤツチボールを為した結果、原告に右の如き傷害を与えたことは過失の責を免れない。原告は事故発生当時医師佐治理夫の治療を受けていたが、症状が悪化するのみであつたので、同年七月十二日頃より眼科専門の安達眼科医院(医師石原八千代子)に通院し治療を受けたが快復に向わず、更に同年十月十四日頃大阪大学附属病院に入院し手術を受けたけれども、遂に視力を回復せずして失明するに至つた。退院後も疼痛のため現在なお右安達眼科医院に通院しており、現在に至る迄に治療費合計七万円を支出した。原告は当時六十七才であつたが身体は頑健であり、原告が同居している長男利亀雄、次男衛の二家族の中心として家事全般をみる傍ら、鶏七十羽を飼つて至極明朗な生活を送つてきたが、失明後は家事は勿論食事ですら人手を借りねばならず、終日家に閉じこもつている外なく、不快な生活を送ることを余儀なくされ、且つ失明後も疼痛去らず、時に目廻い吐気を催し、日常生活の苦痛大なるものがある。しかも眼球血管が切断するおそれがあり、若し切断した場合は即死する危険もあつて常に不安にさらさせている。なお、被告は株式会社駒井鉄工所に勤務して高級幹部の地位にあり、原告の長男は鉄工業を経営している等、原告被告双方の社会的地位と前記傷害に因る原告の精神的苦痛を考慮すれば、原告の慰藉料は五十万円を相当する。豊一は当時十三才(小学校六年生)で不法行為上の責任を弁識する能力を具えていないものであるから、豊一の親権者父たる被告は法定監督義務として、豊一が前記傷害行為により原告に与えた損害を賠償する責任がある。よつて原告は被告に対し治療費七万円と慰藉料五十万円の合計五十七万円並に昭和二十五年六月十五日以降右完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、原告の請求棄却の判決を求め、答弁として、原告の主張事実中昭和二十五年六月十四日被告の長男豊一が友人とキヤツチボールをしていた際、豊一の投げたボールがバウンドして鶏舎の前にいた原告の眼に当つたこと、及び被告が株式会社駒井鉄工所に勤務していることは認めるが、其余の主張事実は争う。豊一がキヤツチボールをしていた場所は原告主張の公道上ではなくして高さ九尺の板塀で仕切られた空地であつて、その空地は当時子供の遊び場所として所有者株式会社駒井鉄工所が開放していたものである。豊一等が右空地でキヤツチボールをしていた時、原告とその長男の妻広瀬甫子が右空地に入つてきて、捕手をしていた訴外津島弘の斜後方にある鶏舎を背にしてその前に坐り、豊一等の方に別段注意を払うことなく話に夢中になつていた時、豊一の投じたボールが一回バウントした為捕手が受け損じ、原告の眼に当つたのである。豊一等は子供の遊び場として開放されている空地内で何時ものようにキヤツチボールをしていたのであるから、被告としては監督上の義務の懈怠はない。仮に原告の左眼が失明し原告主張のような症状にあるとしても、本件事故との間には相当因果関係は存しない。又仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告に次のような過失がある。即ち(1) 豊一等がキヤツチボールをしている遊び場の中に入つて来て捕手の斜後方にうずくまり、豊一等の方に何等の注意も払はず話に夢中になつていたこと、(2) 治療を充分に尽していない。即ち、眼科専門医の治療を受けたのは事故発生後二ケ月半を経過した昭和二十五年八月三十日であり、事故発生後四、五日間は全然医師の診察を受けておらず、佐治医師より眼科専門医の治療を勧められながら速に之に応ぜず、同年七月十三日より同年八月三十日迄一ケ月半の間治療を中断している。原告の右過失は賠償額の算定につき斟酌せらるべきものである。尚豊一は当時十二才十一ケ月であつた。

と述べた。〈立証省略〉

理由

昭和二十五年六月十四日被告の長男豊一が友人とキヤツチボールをしていた際、豊一の投げたボールが原告の左眼に当つたことは当事者間に争がない。

原告は、豊一等がキヤツチボールをしていた場所は大阪市大正区泉尾浜通り二丁目八番地を南北に通ずる道路上であると主張するけれども、証人山本達雄、同津島弘、同宮脇豊一の各証言及び現場検証の結果を綜合すると、豊一等がキヤツチボールをしていた場所は前記泉尾浜通り二丁目を東西に通ずる道路(原告は南北に通ずる道路であると主張するが、現場検証の結果からみて東西に通ずる道路であることは明らかである。)に沿つて南側に接する空地内であつて、豊一は右道路より約五米南方空地内の地点において訴外山本達雄と共に投手として交互に投球し、訴外津島弘は捕手としてその西方約十二、三米の地点で鶏舎の南方約二米の場所に位置していたこと、鶏舎は道路と右空地との境界に設けられた板塀の南側空地内に塀に接して存在していたこと、豊一等の使用していたボールは少年用のギザのある軟球であつたこと、が夫々認められる。原告が本件事故発生時に鶏舎の前即ち南側に居つたことは原告の主張するところであるから、豊一が道路上で投球していたとすれば、その球が外れたとしても鶏舎の南方に居た原告に当ることは不合理であつて、この点から考えても、豊一等が道路上でキヤツチボールをしていたとの原告の主張は失当であり、右原告の主張に添う証人広瀬甫子、同弓山フミの各証言及び原告本人の供述はとうてい信用できない。

原告は、仮に豊一等が右空地でキヤツチボールをしていたとしても、右空地は休閑地利用として菜園や鶏舎等があつて人出入する場所であるから、豊一がそれ等のことに何等の考慮を払うことなく漫然キヤツチボールをしていた結果原告に傷害を加えたことは過失の責を免れない、と主張するから、その点について判断をする。証人中川直一、同神田仲造、同広瀬甫子、同弓山フミの各証言を綜合すると、右空地は株式会社駒井鉄工所の所有であるが休閑地利用として附近の人がその一部に野菜を作つたり或は鶏舎を設けたりしていて、そのため人の出入はあつたが、同時に附近には子供の遊び場所がなかつたので、近隣の子供等が常時野球をしたりキヤツチボールをしていた事実が認められ、被告のいうように右空地が子供等のための私設運動場であつたとは認められないけれども、子供の遊び場として利用されていたのであるから、豊一等が右場所でキヤツチボールをして遊んだとしてもそのこと自体は格別責むべきことではない。然し乍らたとえ使用していた球が軟球であつてもそれが人の身体に当れば、当る部位によつては傷害を与えるおそれがないと言えないから、原告が捕手津島弘の居た場所に近接した鶏舎に来たことを認めたなら、豊一等としては投球を一時中止するとか或は場所を移動するかして、原告にボールが当るような危険の発生しないよう注意を払うべきであり豊一の当時の年令十二才十一月を以てすれば(右年令については当事者間に争がないものと認められる。)自己の行為から生ずる結果についての認識能力を有するとみるのを相当とするから、右注意義務を免れることはできない。然るに山本達雄、津島弘、宮脇豊一の各証言によつて認められるように、豊一等はキヤツチボールをしているときに原告が鶏舎の側に来て捕手のすぐ後方で広瀬甫子と話込んでいるのを認め乍ら之に別段注意を払うことなく漫然と投球を続けていたため、たまたま豊一の投じたボールが捕手の手前で不規則バウンドして斜後方に外れて原告の左眼に命中し、因つて後記認定のような傷害を与えたものであつて、豊一は前記注意義務を怠つた過失があつたものと謂はなければならないところで原告は豊一の投げたボールが原告の左眼に命中し因つて生じた傷害のため結局左眼失明の結果を生じたと主張し、被告は右事故と原告の左眼失明との間には相当因果関係は存しないと抗争するが、真正に成立したものと推定される甲第一乃至第三号証(いづれも医師の診断書)と原告本人の供述とを綜合すれば、原告は前記事故により左眼に傷害を蒙り、種々治療を尽したけれども結局失明するに至つたもので、右失明はボールが左眼に命中したことから生じた傷害に起因するものであることを認めるに充分である。

そこで豊一の前記過失に因り原告に加えた傷害に対する責任能力の有無について考察するに、凡そ或行為の結果についてその者に責任があるとするには、該行為の結果が法律上違法なものとして価値判断されるものなることを弁識する精神能力を有する場合でなければならないと解すべきものであるが、豊一の年令は当時十二年十一月であつて、右年令の程度においては一般に右行為の結果が違法なものとして法律上非難に価するものなることを弁識する精神能力に欠けているものと言うべく、他に特段の事情の認められない本件においては、豊一は前示行為の結果に対する責任能力はないものと断ぜざるを得ない。してみれば、民法第七百十四条により、豊一の親権者として法定監督義務者である被告は、豊一が原告に加えた前記傷害の結果原告の蒙つた物的精神的の損害につきその賠償を為す責任がある。被告は、豊一が子供の運動場として開放されていた空地でキヤツチボールをしていたものである以上、被告に監督上の懈怠はないと主張するけれども、豊一の右行為が単に運動場として利用されていた空地においてなされたことの一事を以てしては被告の右責任免除の理由とはならないし他に被告が監督義務を怠らなかつたことの証拠はないから、被告の原告に対する前記賠償義務は免れない。

よつて進んで原告の主張する損害額について判断する。原告は先づ治療費として七万円を要したと主張するところ、原告の蒙つた前記のような左眼の傷害に対し相当額の治療費を要したであらうことは想像に難くないとしても、その額を認定し得べき何等の証拠もないから、原告主張の治療費については認容できない。

次に原告主張の慰藉料の額について判断する。原告が本件事故に因り左眼に傷害を受け遂に失明した結果日常の生活に多大の不自由を感じ、生涯肉体精神的の苦痛の伴うことは多言を要しないところであつて、被告は原告の右苦痛に対し慰藉料支払義務のあることは明らかである。被告は、本件事故発生及び其後の治療について原告に過失があるから損害額の算定に当つて之を斟酌すべきものである、と主張するから、その点につき考察するに、証人弓山フミ、同山本達雄、同津島弘、同宮脇豊一の各証言を綜合すると、原告は豊一等が前記空地でキヤツチボールを始めてから約十分程経つてから捕手をしていた津島弘の側に在つた鶏舎の前に来て、続いて同所に来た広瀬甫子と共に津島弘の直ぐ後方にうずくまつて話に夢中になつていた事実が認められる。右認定に反する広瀬甫子の証言は信用できない。即ち右事実から考えてみると、原告が鶏舎の前に来たときは既に豊一等がキヤツチボールをしていたのであるから、或はボールが後方に外れるような場合のあることを予想し、自ら進んで外れ球が当ることのないよう適当な措置を講ずるとか、又は、原告は年長者であり、豊一等は若年で思慮分別も充分でないのであるから、原告としては豊一等の位置を変えさせるか或は一時投球を中止させるとかして以て本件のような事故の発生を防止するよう注意すべきであつたにも拘らず、何等斯る措置に出でず、漫然捕手の直ぐ後方に在つて話に夢中になつていたことは、本件事故発生について原告も亦過失があつたものと謂はざるを得ない。更に甲第一乃至第三号証の各記載内容を綜合してみると、原告は本件事故発生後直ちに医師の診察を受けずして冷湿布等の素人療法をしていたが眼痛が去らないので、事故発生後五日を経た昭和二十五年六月十九日に至つて佐治理夫医師の診察を受け、同医師から眼科専門医の診療を勧告され、同医師の治療は同年七月十二日中止されたにも拘らず其後直ちに眼科専門医の診療を受けることなくして一時治療を中断し、症状が相当悪化した同年八月三十日に至つて安達眼科院石原八千代子医師の治療を受け、同年十月十五日阪大病院に入院して手術を受けたけれども結局左眼を失明するに至つた経過が認められる。右事実から明らかなように、原告は本件事故に因つて生じた左眼の傷害に対して通常採るべき適切な治療措置を講じなかつたものとみるの外なく、若し原告が直ちに眼科専門医の治療を受けていたなら、或は失明という結果に至らなかつたとも考えられるのであり原告の左眼失明は右のような原告の治療上の過失に一部の責を帰せしめなければならない。従つて慰藉料の額を算定するに当り原告の以上の過失を斟酌すべきものである。而して原告の年令が事故発生当時六十七才であつたこと、原告の長男は鉄工業を経営する者であり、被告は株式会社駒井鉄工所に勤務する会社員であること等につき当事者間に争のないものと認められる事実及び前認定の諸般の事情を考慮して、原告の前示傷害に対する慰藉料は五万円を相当と思料する。

よつて原告の本訴請求中五万円及び之に対する本件不法行為のあつた翌日である昭和二十五年六月十五日以降年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において之を認容し、原告の其余の請求は理由がないから之を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 三上修)

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